ロックと着物、情熱と青。

ヒカリシオコシ。着物好きのロック教。

あなたの代わりに、泣いてもいいと思いました

 

あなたの代わりに、泣いてもいいと思いました。

 

 

 

 

 

 

今日は、そうですね。

 

初夏の風が吹くのを止めてしまったかのような、

そんな日和でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、思いました。

 

 

 

ここ最近、しばらく手紙を書いてないな、と。

 

 

いえ。

 

 

書いてないのではなくて、書けなくなったのですね。

 

 

 

昔ほど、誰かに文章で感情を伝えるというのをしなくなってしまった。

 

 

 

言いにくいことも、本当に言いたいことも、何もかも、綺麗に創り上げて伝えられる術が増えてしまったから。

 

 

 

心にもないことも、時代の所為か、平気で言えるようになってしまった気もします。

 

 

私はずっと。

 

 

頂いた手紙を捨てられなくて、ずっと。

 

捨てられなくて、いるんです。

 

 

 

 

今し方、そのレターボックスを、

 

本当に久方振りに開けました。

 

 

 

もう、この世にはいない人からの手紙。

 

この世にいるけど、

たぶん、もう二度と会うことのない人からの手紙。

 

幼馴染からの手紙。

 

弟がサンタクロースに宛てて書いた手紙。

 

私が家を出たときに貰った、父からの初めての手紙。

 

 

 

でも、その中には。

 

 

続きが書けないまま、中途半端な文章で終わっている、出せないままの、私が書いた手紙も入っていました。

 

何回も何回も書き直して、ずっと出せなかった手紙。

 

今となっては、誰に宛てた手紙なのか、忘れてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘。

 

 

 

誰に出したかったのか、覚えてる。

 

 

 

何を言いたかったかも、覚えてる。

 

 

 

でも、どう書いたらいいか、伝えたらいいかは、未だに、わからないですね。

 

 

 

出さなくて、正解だった手紙なんでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

人間、前を向いて生きていける生き物だと、思います。

 

それは、忘れることができるからではなくて、

 

おそらく。

 

許すことができるからだと思います。

 

 

 

 

私は、ちょっと前に、

 

信じる者は救われないんだと

 

そう、思うことがあったんです。

 

 

 

 

でもやっぱり、

 

信じる者は救われるんです。

 

それは、綺麗事とかでなくて。

 

 

 

信じて、傷つくことは、救いなのではないかと、思ったんです。

 

 

 

信じて、傷ついて、一晩泣いて、薄情になって。

 

そうして、強く、雑草のように生きて、やがて、花が咲くその瞬間を、見ることが出来るのだろうと。

 

そうやって、思ったんです。

 

 

 

 

 

 

もう、手紙を書きたいと思うことはないです。

 

 

 

書いたところで、私はたぶん、出せないでしょうから。

 

 

最も言いたいことは、最も言いたくないことのそばにある。

 

というのは、誰の言葉だったでしょうか。

 

本当にその通りだなと、最近思います。

 

 

 

 

 

孤独が余りに色濃い、

 

あの群青に、

 

全てを飲まれてしまいそうになる、

 

そんな夜。

 

 

 

 

 

 

 

あなたの代わりに、泣いてもいいと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナミヤ雑貨店見た所為で

 

こんなことを書きたくなった金曜日の夜。

 

 

 

 

 

 

手紙を読み返すのは一年に一回も要らないね。

 

 

 

 

 

このレターボックスは、

 

 

 

 

また、封印。

 

 

 

 

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I STAND ALONE

 

実は今日。

 


何の気なしに、嫌、違うな。

 


たまたまだ。たまたま、2年前に住んでいた土地に行った。

 

たまたま、用があって。

 


専門学校を卒業してすぐ引っ越してきて、新しい土地での暮らし。社会人になって、初めて住んだ。

 


事も済み、地下鉄に乗って帰れば良いだけの、それだけのことだ。

 


しかし、本当に如何仕様も無く、無性に、住んでいたアパートを拝みたくなったのだ。

 

この目で、この脳で。


大分、古かった。


変わりないだろうか。まだ在るのだろうか。

誰かが住んでいるのだろうか。

 

私が探しているものも、あるのだろうか。

 

そんな戯れ言を思いながら、かつての帰路に足を向く。


地下鉄の駅からの行き方も、何もかにも、忘れてはいなかった。

 


何一つとして、変わってはいなかった。

 


あの小学校もゴミ捨て場も横断歩道もパーマ屋も。

 


昔住んでいたアパートも。

 

 

 

 

 

 

一番上の階。

 

窓が二つ、一つはカーテンがしてある。

もう一つはしていない。

 

(どっちだったかな…)

 

期待などではない。期待だったとしても、何方への期待か。

 

何を考える間も無く、上階へ続く外階段へと進む。

 

登る。

 

(オートロックじゃないんですよね、怪しいものじゃあ、ありません。)

 

そんなくだらないことを思いながら。

 

登る。

 

外階段からは、部屋の反対側の窓が見える。

 

緊張する隙を許さず、待たずして、窓を見やる。

 

差し込む日差しが余りに明るい。

 

 

はっきりと見える。

 

誰もいない。

 

カーテンはおろか、何一つ物がない。

 

がらん。

 

おそらく、私が出て2年。

 

誰も住んでいないのだろう。

 

しばしの間、外から窓を通して部屋の中を眺めた。

 

よろしくない、願望が、私を支配する。

 

馬鹿らしいことだ。

でも、いや、もしか、と思ってノブに手をかけた。

 

開いた。

 

いとも簡単に。

 

 

(今、冷静に考えると。

大丈夫なんだろうか?)

 

 

見つかったら、やばいか、とか、一応考えた。

 

 

 

 

少しだけ、躊躇した。

 

 

 

 

でも、どうしても会いたかった。

 

だから、こうして、此処に来たのだ。

 

少しだけ、会いたい。

 

 

 

 

誰に?

 

あの日の、

 

自分か?

 

あの日の。

 

 

 

 

少しだけ、躊躇した。

 

 

 

 

 

 

 

あの日のまんまだった。

 

 

 

 

 

中に入ると、

 

 

 

 

 

私が住んでいた時の、そのまま。

 

 

 

 

 

あの日から、ずーっと時が止まっているようだった。

 

 

 

 

美しかった。

 

 

 

 

美しい、と思ってはいけない。

本来ならば。

 

 

 

 

懐かしい、という感情などは生まれない。

 

何故か。

 

ずーっと私の側にいたからだろう。

 

 

 

あの日、あの時。

 

 

 

此処に住んでいた時、色々なことがあった。

 

 

めちゃくちゃ蟻が出た。

 

めちゃくちゃ殺した。

 

アースジェットで。

 

そのたんびに、ガス警報器が鳴った。

 

新聞屋の営業に負けてた、毎回。

 

その都度貰う米で生活してた。

 

鍵をヨーカドーに落として鍵の救急車を呼んだ。

 

三万が飛んでいってた。

 

あの時は、一年に3回くらい携帯ぶん投げて壊してた。

 

死にたいくらいに好きな人がいた。

 

そして、死にたいくらいの失恋をした。

 

本気で、死のうかと思った。

 

はじめて、セックスをした。

 

他人のままで、抱き合った。

 

 

 

あの日、あの時。

 

 

 

まだ、少しだけ未来を信じて、夢を愛して、可愛げがあっただろうか。

 

言われそうだ。

 

変わってねえよって。

 

蹴飛ばして開けたドアの穴もそのまんま残っていた。

 

電球が切れたまま使っていた、トイレ。

 

確かめたかったけど、流石に無理だった。

 

 

 

 

 

 

色んな記憶が一気にフラッシュバックして、一気にomoide in my head状態に陥った。

 

 

 

美し過ぎて、

何故に自分が此処に来たのか。

何故に此処に入れたのか。

何故にずっと忘れられなかったのか。

 

考える間も無く、唯、呆然と、立ち尽くしていた。

 

 

 

ずっと気になっていた。

 

私が出て行ったあの部屋は、誰かが住んでいるのだろうか。

 

住んでいたとしたら、どんな人だろうか。

 

男かな、女かな。

 

私が過ごしたあの日々は、あの感情は、もう、あそこには無いのだろうか。

 

もう二度と、会うこともなく、戻れないのだろうか。

 

 

 

 

 

現実、何一つとして変わらず、あの日のまま、存在していた。

 

ほっとしたような、でも、絶望にも似ている。

 

けれども、今、時は春。

 

別れを告げ、終わりを知り、絶望しながら、前に進まねばならぬ季節。

 

私は泪を流すでもなく、飲むでもなく。

 

さようなら。

 

その一言だけを残して、立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

帰り道。

 

私が耳をイヤフォンで塞いで、大音量で聴いた曲は、

 

I stand alone

 

我起立唯我一人

 

https://youtu.be/acmgYbwiIJc

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全然話変わるんですけど。

 

さっきからね。

 

私以外誰もいないはずの。

 

はずの。

 

部屋でめっちゃ物音がしておりますです。

 

気配を感じます。

 

視線を感じます。

 

まあ、これは、あれですね。

 

よくあるやつです。

 

あれです。

 

おばけです。

 

あとはもう、これは。

 

生きている者か、死んでいる者かだけの違いですね。

 

おばけです。

 

でも怖くはないです。

 

午前1時3分前。

 

怖くはないです。

 

以上。現場からでした。 

 



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こういう天気が最高に好きなの。

 

 

 

 

 

というか、寝ちゃったから昨日の話ね。

昨日?今日の夜中?わけわからん。

 

さらば🐧

生き急ぐ様と、死に遅れ行く様と。全ては過ぎ行く春の中で。

 

嗚呼、こんな時こそ、誰かに縋っていないとどうしようもなく不安だ。

 

 

 

 

 

 

 


「ばあちゃん亡くなったんだよね。」

 

 

 

 

 


彼からの電話は突然の訃報だった。

 

 

 

 

 


赤の他人だ。

彼の祖母も、彼の家族も、彼自身でさえ。

 


なのに何故だか、その声を聴いた途端にあまりに寂しくなった。

 

 

 


「そんなに思い出も無いんだけどね。」と、

呟いた彼の言葉が私の馬鹿げた感情と交わることなく宙ぶらりん。

 

 

 

 

 


誰かが死ぬということは、知らぬ間に花咲いた雑草を横目で見やる様な感覚に似ている。

通り過ぎるだけだが、余りにそれは冷たい風だ。

人の死というのは、心に魔を刺すものなのか。

気を抜くと、持って行かれそうになる。

 

 

 

 

 

 


私は守りたいのだ。無敵で、絶対的に強くありたいのだ。正義のヒーローでいたかった。

だが其の訃報を聞いて気づいた。

私は、何も守れやしないと。

強くなれないと。凡才で、理想など、現実の足元にも及ばないのだと。

 

 

 

 

 

 


誰か、誰か、誰か!

今私は初めて認める。

助けを求めているのだ。

寒い。手指が冷たい。

愛しているのだ。その感覚が、次第に体を冷まして行く。

 

 

 

 

 

 


電話越しの彼の声は、とても遠いように感じた。

 

 

 

 

 

 


もう二度と会えないかもしれない。

ふと、そんなことを思った。

 

 

 

 

 


さよなら それもいいさ

さよなら 元気でやれよ

さよなら 僕もどうにかやるさ

さよなら そうするよ

 

 

 

 

 


アジカンソラニンの最後の一節。

 

その時、瞬間的に耳の奥底、鼓膜よりももっと深いところで鳴り響いたこの曲は、それこそソラニンという映画の主題歌だった。

 

何年前だろうか。

 

 

 

調べてみたけど、まるまる9年前だ。

 

当時は、そう、まだ高校生だった。

 

確か…

 

青く霞んだ日々が脳裏に過った。

 

あの頃は、この曲を聞いても大して何も思わなかった。

 

他の曲に比べて静かだなあとか、まあ、どうせ映画の主題歌だからなとか、ミーハーな考えしか持っていなかったと思う。

 

だが、今ここまで来て…

 

9年という月日は余りに呆気なく、余りに長過ぎる。

 

齢25にして、この歌詞の重さに、

春になるとずしりと軋む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さよなら それもいいさ

さよなら 元気でやれよ

さよなら 僕もどうにかやるさ

さよなら そうするよ

 

 

 

 

 

 

 

 


もう二度と会えなくても、それでいいと、

お元気でと言って歩いて行けるような、

薄情な人間たちの季節だ。

春というのは。

さよなら、はじめましてを色濃く繰り返して、季節は巡り、私たちは歳をとる。

 


終わった瞬間に、また始まり、始まった瞬間に終わる。

退廃の美と言うのだろうか。

私たちは日々、死んではまた生まれ、生まれては死に行くを自己の中でひたすら繰り返しているのだ。

 

 

 

 

 

これは私の春の戯れ言。

 

 

 

 

 

 

 


春、と言っても昨日一昨日で北海道は冬が舞い戻って来てしまいました…。

 


路面ツルツルで事故多発…

 


北海道の方、お気をつけて。

 


これって春一番?なのか…

 


とにかく寒い。

 


さあ、私はこれから夜逃げの様な引っ越しを今日、明日で行います。

28日には、完全に退去せねばなりません。

何にもしていません。

ダンボールもありません。

 


どうか皆様、見守っていてください。

 


間に合いますように。

 

 

 

 

 

 

間に合うか?

 


とりあえず、ツムツム(私の妹)が応援に来るのを待機します。

 

 

 

 



 

 

"ソラニン"って、原作も映画も主題歌も、

全部ソラニンなんだよね。

 

調べてみたら、ソラニンってナス科の植物に含まれてるステロイドアルカロイドの一種らしい。

 

簡単に言うと毒。

 

摂取すると7時間から19時間くらいで嘔吐とか下痢とかなるらしい。

体調によっては、錯乱したり呼吸困難なったり、腎不全起きたり…

 

未熟なトマトにも含まれるとな。

 

色々と考えさせられるね。

 

実際、映画も漫画も見たことない。

 

見てみるからな。

 

桜が咲く前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それじゃあ、さらば。

 

 



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我が故郷は、天国の様に美しい。

 

 

 

 

 

春の所為

 

春だからか、非常にメランコリーな気分が続いている。

 

吹く風は冷たい。

花冷えの気配さえ、遠ざけているようだ。

 

美しければ良いとは限らないか。

 

清廉潔白であるが故の汚さも有るのではないか。

 

饐えた匂ひのする薄暗い路地裏に蔓延る色程に、美しいものは無いと、思へる時も有る。

 

春とは、其れ等が混在している。

 

だからか、妙な気分にさせられるのは。

 

春は嫌いだ。

 

何故だかとても、寂しいのだ。

 

永遠の別れを予感させる。

 

永遠なんてものは、存在しないというのに。

 

桜も嫌いだった。

 

これは過去形だ。

 

事実、好きでは無い。

 

だがしかし、拝みたくて堪らないのだ。

 

其の花姿を。

 

私も随分年を取ったのだ。

 

嗚呼、春に舞う雪か。

存外、悪くも無い。

 

最近は、余りに地に足がつかない。

 

其れも良いか。

 

全ては、

 

春の所為にしましやう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

くそ久しぶりにブログを書いてみた。

 

というか、書きたいことが久々にあった。

 

春は嫌い。

 

でも何故だかとっても愛しい。

 

遠き春よ〜ですね。

 

今日はこれも久々、とても美しいものを見ました。

 

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アンスリウムという花だそう。

 

こな花自体は、そんなに珍しくは無いみたいだけれど、この色が神秘的で。

 

凛とした空気感が漂っていて、あまりに美しくて。

 

インスタやってはいるけれど、最近は滅多に更新しない。

 

ただ単に面倒くさいだけってのもあるんだけど、

 

基本的に、心から美しいと思ったものしか、他人と共有したくないんだよね。

 

ていう、春の日の呟き。

 

さらば。

 

 

 

 

晩秋とは名ばかりの、追憶の夜もすがら。

例えば、今かな瞬間に、頭上に隕石が落ちてきたとして。

 

そんなことを夜空を見上げて考えた。

 

帰路。

 

綺麗なミッドナイトブルーだった。

 

金色の月は雲隠れ。

 

そう、雲が多い。

 

冬にしては珍しい。

 

否、晩秋の風は思っていたよりも生やさしい。

 

 

そんな中で例えば、隕石が落ちてきて吹っ飛んだとしたら、そうして死んだら

 

私はそれでも、もしかしたらそれでも、幸せなのかもしれない。

 

金もなければ、恋人もいない。

 

やりたいことだらけ、今死んだとすれば、やり残しが山積みだろう。

 

それでも、今死んだとしたら、

 

幸せな気がする。

 

死にたいわけじゃない。

 

ただ、

 

隕石が落ちてきたとしてもね。

 

幸せだと思えるような気分だ。

 

 

 

人生は短い。

 

花盛りも一瞬。

 

そして、夏は一度しか来ない。

 

人は絶対、必ず死ぬ。

 

50年だろうが、100年だろうが。

 

その一瞬を生きなければいけない。

 

この世は下界。

 

この世は苦界。

 

それでも花を咲かせねばなりませぬ。

 

咲かない花などないと信じなければならないのです。

 

 

 

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そんな下界は今日も美しい。

 

美しく、ありたいです。

 

死ぬ間際まで。

 

 

 

恋は水色。なんちゃって青春の一曲

無条件に、青が好きだ。

 

ツイッターでも呟いたが、

“恋は水色”という曲がある。

 

釧路では夕方17時を知らせる音楽で、

 

部活の最中、この曲を聴きながら坂道をダッシュしていた。

 

なので、良くも悪くも一生忘れない曲である。

 

”恋は水色”

 

知っている人は果たしてどれくらいいるだろうか。

 

かく言う私も、歌詞は全く知らない。

 

そもそも歌詞が存在するのか?

 

誰の曲かもいつの曲かも、日本の曲かも正直知らない。

 

部活の同級生が曲名だけ教えてくれた。

 

恋は水色、なんて悲しい。

 

単純にそう思った。

 

失恋の歌だろうか。

 

あまり好きじゃないな。

 

そう、思っていた。

 

 

 

 

今朝、いつもの様に石井ゆかりさんのツイッターの今日の運勢を見た。

 

蠍座は青。今は恋の色はピンクや赤だけど、中世ヨーロッパでは青い服で表すことがあったそうな。”

 

これを見て、恋は水色を思い出した。

 

必ずしも、悲しい恋の歌とは、限らないのだろうか。

 

 

 

 

冒頭にも言ったが、私は青が好きだ。

 

絶対的に美しく、手の届かないような高貴な色に思う。

 

少し前に、

 

アデル、ブルーは熱い色”という映画があった。

 

(私はこの映画の存在を知らず、タイトルだけ耳に入っていたのだが、しばらく、イギリスの歌手アデルのブルーは熱い色という曲名だと、本気で思っていた。)

 

この映画は、ほんっとに簡単に言うと女の子同士の恋愛の映画なのだが、主人公のアデルが恋する相手の女の子の髪が、目の覚めるような鮮やかなブルーなわけだ。

 

青というのは不思議な色で、悲しみの色でもあり、かたやヨーロッパでは恋の色であった。

 

まあ、極論、恋というのは悲しいものかもしれない。

 

けれども、やはり青は熱いのだ。

 

星も炎も、青い方が温度が高い。

 

情熱の色であり、鎮静の色でもある。

 

極端だ。

 

極端で、不完全だ。

 

青は冷静さや知的さを表す一方、未熟さを例える言葉でもある。

 

恋は水色。

 

ぜひ、皆さん聞いてみて。

 

以上🐧🐧🐧

 

 

曇天日和。

 

霜月十四日

 

髪を染めた。なん年ぶりのブリーチだったろう。

がっつり色を抜いて、アッシュにした。

 

今まで、赤やら紫やらを色々入れてきたが、

ここまでハイトーンを入れたのは学生以来初めてだ。

 

担当してくれた美容師さんに何度か聞かれた。

 

“職場は大丈夫ですか⁇”

 

私は何度も答えた。

 

“大丈夫です。”と。

 

でもまあ、普通は駄目なんだろうなあとも思いながら。

駄目、というよりか、やらないだろう。

 

世間体そのものを気にする人もいるだろうが、本当は明るい色にしたいけど会社でなんて言われるかわからない。怒られたくない。同僚や先輩の目が怖い…

 

色んな理由がある。

それはひとえに、髪を染める話に限らず。

選ばない理由は、自分を守る術であり、自分を殺す術でもある。

 

入社したての頃、教育係の人に言われた。

 

“メイクが濃いです。会社ではナチュラルに。

風紀を乱さず、節度ある格好を。”

 

 

 

もちろん大事なことだと思う。

いや、嘘。

私にとって大事ではない。

そんなことは、別段、どうでもいい。

 

けれども、言ってることは、理解る。

 

だけども私は、自分を殺せない。

 

理由はただ一つ、私は私だから。

 

個性という、ワガママと紙一重でもある。

 

だけど、自分を殺してまで自分の個性を我慢してまで、会社になどすがりたくない。

 

無論、私は会社の為に働いてるのではない。

 

私の信念は、誰の為でもなく、自分の為に生きることだ。

 

誰の為にも選ばず、誰の為にも働かない。

誰にも操られることなく。

 

 

 

札幌にDr.NYというバンドがいる。

直球どストレート。

3ピースのパンクロックバンドだ。

彼等の曲に、ニワトリ人間というのがある。

是非聞いてみてほしい。

私はこの曲が大好きなのだが、

歌詞が印象的。

 

“僕が君の操り人形だったら楽なのに”

 

そう、人形だったら楽なんだ。

中島みゆきの歌にもある。

 

“人形みたいでもいいよな。笑えるやつはいいよな”(狼になりたい)

 

皆んなそれぞれ色々ある。

人形であれば、何を思うこともなく、それでも風紀の中に身を置いて、流れに逆らう事もなく、生きられたら、まだ楽だろう。

 

疎まれる事もなく、陰口を言われる事もなく。

 

それでも私は、人形になんかなりたくない。

誰にも操られたくない。

私は、私でありたい。

例え借り物の身体でも、この命尽きるまで、“自分”という人間を全うしたい。

誰の為でもなく、自分の為に。

 

そんな風に25歳を迎えた、霜月曇天のある日のことだった。

 

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最後にフクロウと私🐧