生き急ぐ様と、死に遅れ行く様と。全ては過ぎ行く春の中で。
嗚呼、こんな時こそ、誰かに縋っていないとどうしようもなく不安だ。
「ばあちゃん亡くなったんだよね。」
彼からの電話は突然の訃報だった。
赤の他人だ。
彼の祖母も、彼の家族も、彼自身でさえ。
なのに何故だか、その声を聴いた途端にあまりに寂しくなった。
「そんなに思い出も無いんだけどね。」と、
呟いた彼の言葉が私の馬鹿げた感情と交わることなく宙ぶらりん。
誰かが死ぬということは、知らぬ間に花咲いた雑草を横目で見やる様な感覚に似ている。
通り過ぎるだけだが、余りにそれは冷たい風だ。
人の死というのは、心に魔を刺すものなのか。
気を抜くと、持って行かれそうになる。
私は守りたいのだ。無敵で、絶対的に強くありたいのだ。正義のヒーローでいたかった。
だが其の訃報を聞いて気づいた。
私は、何も守れやしないと。
強くなれないと。凡才で、理想など、現実の足元にも及ばないのだと。
誰か、誰か、誰か!
今私は初めて認める。
助けを求めているのだ。
寒い。手指が冷たい。
愛しているのだ。その感覚が、次第に体を冷まして行く。
電話越しの彼の声は、とても遠いように感じた。
もう二度と会えないかもしれない。
ふと、そんなことを思った。
さよなら それもいいさ
さよなら 元気でやれよ
さよなら 僕もどうにかやるさ
さよなら そうするよ
その時、瞬間的に耳の奥底、鼓膜よりももっと深いところで鳴り響いたこの曲は、それこそソラニンという映画の主題歌だった。
何年前だろうか。
調べてみたけど、まるまる9年前だ。
当時は、そう、まだ高校生だった。
確か…
青く霞んだ日々が脳裏に過った。
あの頃は、この曲を聞いても大して何も思わなかった。
他の曲に比べて静かだなあとか、まあ、どうせ映画の主題歌だからなとか、ミーハーな考えしか持っていなかったと思う。
だが、今ここまで来て…
9年という月日は余りに呆気なく、余りに長過ぎる。
齢25にして、この歌詞の重さに、
春になるとずしりと軋む。
さよなら それもいいさ
さよなら 元気でやれよ
さよなら 僕もどうにかやるさ
さよなら そうするよ
もう二度と会えなくても、それでいいと、
お元気でと言って歩いて行けるような、
薄情な人間たちの季節だ。
春というのは。
さよなら、はじめましてを色濃く繰り返して、季節は巡り、私たちは歳をとる。
終わった瞬間に、また始まり、始まった瞬間に終わる。
退廃の美と言うのだろうか。
私たちは日々、死んではまた生まれ、生まれては死に行くを自己の中でひたすら繰り返しているのだ。
これは私の春の戯れ言。
春、と言っても昨日一昨日で北海道は冬が舞い戻って来てしまいました…。
路面ツルツルで事故多発…
北海道の方、お気をつけて。
これって春一番?なのか…
とにかく寒い。
さあ、私はこれから夜逃げの様な引っ越しを今日、明日で行います。
28日には、完全に退去せねばなりません。
何にもしていません。
ダンボールもありません。
どうか皆様、見守っていてください。
間に合いますように。
間に合うか?
とりあえず、ツムツム(私の妹)が応援に来るのを待機します。
"ソラニン"って、原作も映画も主題歌も、
全部ソラニンなんだよね。
調べてみたら、ソラニンってナス科の植物に含まれてるステロイドアルカロイドの一種らしい。
簡単に言うと毒。
摂取すると7時間から19時間くらいで嘔吐とか下痢とかなるらしい。
体調によっては、錯乱したり呼吸困難なったり、腎不全起きたり…
未熟なトマトにも含まれるとな。
色々と考えさせられるね。
実際、映画も漫画も見たことない。
見てみるからな。
桜が咲く前に。
それじゃあ、さらば。
我が故郷は、天国の様に美しい。